2016年12月20日火曜日

台湾の現代史と建築物① 中正記念堂

どうもー無職教です。



お金は無いですが、時間はあったので、友人に誘われてまた台湾へ行ってきました。
約一ヶ月前の話です。

前回はほとんど下調べをせずに旅行しただけでしたので、今回は事前に台湾の現代史が書かれている本を一冊読んで観光することにしました。
すると、「台湾ってこんなトコロだったのか~」と、台湾の深い部分を知ることができました。

旅行地の予習として歴史を勉強するって良いですね。

時間のある方にはオススメします。



さて!そんな私が今回の旅をして、個人的に印象に残った建築物を少し紹介します!!




①中正記念堂

場所:台北市  台北駅から徒歩でも行けます。

用途:中国国民党永久総裁である蒋介石を祀った記念堂



まず最初はこの建物です。
今回の旅で一番圧倒されました。

キャッチフレーズを付けるならば
「第二次世界大戦後の台湾を統率していた『国民党』という政党の思想を体感できる貴重な建築物」
といったところでしょうか。

歴史の授業で誰でも一度は聞いたことあるとは思われる「蒋介石」というおじさんを祀っている建物です。

メチャクチャでかいし、メチャクチャ金もかかっています。

「え!?一人の人間を祀るために何でこんなに大規模な建築物を建てるの!?」

と、何も知らない人が見たら思うでしょう。

一体「蒋介石」という人物はどのような人物だったのでしょうか。



まず最初に入口に門があります。
この時点で度肝を抜かれます。

「デカっ!!」「装飾しすぎ!!」

見た瞬間私はそう思いました。

門だけでも20メートル位高さはありそうです。
マンションで言うと六階建てくらいです。


門を真正面から立って見ると、奥に本堂、見えづらいですが右側が国家戯激院(オペラハウス)左側に国家音楽庁(コンサートホール)が配置されており、中央には広大な広場があります。

このアングルで見ると、奥にある本堂が、非常に権威を持った建物だという事がビシビシと伝わってきます。遠くにあるからこそ迫力が出ているのです。
ゲームや漫画でもラスボスって一番奥の部屋にいますよね。そんな感じです。



門でこの恐ろしいほど複雑な装飾。
しかもこれコンクリートなんですが、どれだけ労力をつぎ込んでいるんだ!?と圧倒されました。




そして門をくぐると広場で沢山の人々が思い思いに過ごしております。
そのような人々の賑わいを見守るかのように本堂が君臨しております。

「蒋介石の統治下において、人々は自由に過ごすことができる」というメッセージを、この光景は演出しているように感じました。



左側にある国家音楽庁ですが、この建築物も非常に手が混んでおります。
まずとても大きい事は伝わるかと思いますが、注目すべきは屋根の部分です。



屋根の部分をアップして見たものですが、この屋根すべて瓦が敷かれてあるんです。これまたメチャクチャ労力のかかりそうな屋根だと思いましたら、その屋根を支えている組物が鬼のように組まれているんです
この組物はそこそこの技術を持った大工じゃないと作れないと思うのですが、それがこの巨大な建物を取り巻くように何段にも積み重なって付いているのです。

私はこれを見たとき、蒋介石という人物はものすごい富、兵力を保持していた人物なのだと感じました。正直恐怖すら感じます。



建物の近くにはダンスを練習する若い子達が沢山おりました。
ヒップホップダンスを練習する子達も沢山いたのですが、何やら集団で軍隊のような、全員で同じ行動をするという団体もおりました。
建物のエネルギーに惹きつけられ、この場所で練習するようになったのでしょうか。





そしてこれが右側の国家戯劇院。外の作りは先ほど紹介した国家音楽庁とほぼ同じです
つまりその規模の建築物が二つもあるという事です。


どうですか?門、広場、国家音楽庁、国家戯劇院という要素だけでも、いかにこの建築物が膨大な費用と労力が懸けられているか伝わりましたでしょうか?

国家音楽庁、国家戯劇院というあの規模の建築物ですら、この中正記念堂内では本堂の引き立て役として配置させられているのです。わかりやすく例えると、水戸黄門の助さん角さんのポジションです。

ここまで来ると「じゃあその黄門様は一体どれだけ凄い人なんだー!?」となると思うんですが、そう、それこそがこの建築物を設計した人物の狙いだったのではないかと私は思います。

つまり、蒋介石が死去したあとも、後世にその威厳を伝えるため、その媒介としてこの大規模な記念堂を建設したのでしょう。



本堂の入口にうっすらと巨大なシルエットが見えます。



そしていよいよ本堂に登るわけなのですが、近くに来るとやっぱりデカい。
かなり威圧されます。
高さがなんと70mあるそうです。アパートで言うと23階建てです(笑)

ちなみに屋根が二重になっているのは「光復」という言葉の「復」をもじっての事。

つまり「台湾を光り輝く未来へ復興する」という事なんでしょうね。



中に入ります。


そして中には、いました。この建築物の主役が。



そう!蒋介石さんです!
そしてこの蒋介石さんの像なんですが、



非常に穏やかな顔をして微笑んでいらっしゃるのですね。

この一連の流れでこの蒋介石像を見たとき、ある人は、

「こんなに大規模で素晴らしい建築物に祀られているお方が、こんな穏やかな笑顔でいるなんて、きっと人格的にも非常に優れていて人望も厚く、そして統率力もあり、非常に素晴らしい人だったんだわ!」

と、思うかもしれません。
なかなか宗教的ですよね。

文章を読んで思っている方もいるかとは思いますが、この中正紀念堂は蒋介石という人物を崇めるように色々と演出され尽くした施設なのでしょう。


~蒋介石の簡単な紹介~
蒋介石は、もともと現在の中国大陸を統治する予定の人物でしたが、1949年に毛沢東率いる軍に内戦で負け、台湾へ追いやられました。
それ以降、蒋介石率いる国民党は台湾を独裁し、一般市民に対して政治参加を許さなかったそうです。
1990年代に入って、ようやく台湾は民主化が進み、総統選挙なども行われるようになりましたが、それまでの間、国民党による政治家の汚職や一般市民に対する圧力は絶えなかったそうです。

つまり元々台湾にいた人々からすると蒋介石は、急に外部からやってきて独裁しだした(しかも武力で反乱を抑えて)という人物像が当てはまると思います。


普通に考えて恐ろしい人物です。
なので、この中正記念道はおそらく国民党もしくはその支持者が管理・運営をしており後世に蒋介石の威厳を伝えようとしているのではないかと思いました。


ちなみに、現在の台湾は2016年の総統選挙により、国民党から民進党に政権が移り「台湾独立」の道を辿るそうです。約70年近く続いた国民党政権から脱却し、新しい道を進むことを台湾の人々は選んだのだと私は思っています。




そんな歴史背景などを色々と勝手に妄想して膨らませながら本堂を出ると、この光景です。
やはり素晴らしい、計算され尽くした絶景が広がります。

この建築物はかなり「威力」があると思います。

しかしながら、一人の人物の威厳を伝えるために莫大な費用、土地、労力をつぎ込んで出来上がった建築物の背景にはやはり「独裁」や「恐怖政治」という言葉が浮かんでしまいます。

それは、中正記念堂のある台北市内にはまだたくさん老朽化が進んだ建築物が密集した地域があり、それらと比較した時に温度差を感じずにはいられないからです。


新しい道を進むことを決めた、台湾の今後の進展が気になりますね!

以上が中正記念堂を見ての個人的な見解でした。
「第二次世界大戦後の台湾を統率していた『国民党』の思想が体感できる建築物」だったのではないでしょうか?

次回へ続きます。





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