2014年5月28日水曜日

宗教観

どうもーようじ教です。


時折「宗教は何故あるのだろう」と考えることがあります。

それは私がたまたま信仰深い方々と接する機会が多かったため、考える機会が何度かあったからです。
「そんな事わざわざ触れなくてもいいじゃん」と思うのが普通ですが、密に関わっていく相手を理解することは大切だと思うのでよく考えます。



以下はあくまでも個人的な見解です。



客観的に見て思うのは「心のゆとりを持つために」信仰をしているのではないかという事です。
人は自分で判断できないような大きな出来事に遭遇してしまうと進路に迷ってしまい、少なからず不安を感じます。
そういう時、自分より優れている人や、大人数が進む方向を参考にして判断をするでしょう。

宗教の場合そのような「優れている人 」や「大人数が進む方向」というのが『神』だったり『教え』だったりする場合が多いと思います。そのようないわゆる『理想的なもの』を、信仰の対象とする事によって安心を手に入れているのではないかと思います。

わかりやすく絵を描いてみました


つまり「自分では判断できないような迷いの状態にあるとき、理想的なものを信仰することにより、安心を手に入れて心のゆとりを持とうとする」という事ではないのでしょうか。

これが今私が考えている、宗教がある理由です。


この構造は他の事にも当てはまると思うのです。
例えば、あなたが好きなミュージシャン、スポーツ選手、作家、タレント、デザイナー、偉人・・・などなど、 何か特定の物を支持しているとき、少なからず心にゆとりが生まれると思うのです。
それはその特定の物があなたに常に感動を分け与えてくれるからなのか、またはあなたの指針となってくれているからなのか、あなたにとって利益を与えてくれる存在だからなのかもしれません。


そう考えるとこれらの事も宗教と同じように思われます。
宗教の場合は、その内容が人の本質的な部分を問うような壮大なものであったり、信仰の対象が実体の無いものであったりするため、宗教をしていない人とのギャップが激しく感じるのかもしれません。

これらの事より、人にはそれぞれ信じる物があり、それによって「自分らしさ」を築き上げてライフスタイルをも築き上げます。なので信仰する事や支持するという事は、社会で生活していく上で当然な行為なのだと思います。







ところで、もしこの「信仰する物」や「支持する物」が自分から消えてしまった場合はどうなるのでしょうか?
何らかの理由があり、今まで信じていたものが無くなってしまうのです。

その時は、信じる対象を「自分」に移して進んで行くようになるのだと思います。
自分で考えて進んで行くのでしょう。


これは、心のゆとりを持てずに不安になる事も多くなると思います。しかしその反面、自由な事も増えるのではないでしょうか。

この信じる対象を「自分」にするという事も、一種の宗教的行動ではないかと思います。
「自分」を肯定して一番信じれるのは結局「自分」なのだと思います・・・


長々と書きましたが、これが最近のようじ教の宗教観でした。
最後までこの話に付き合ってくれてありがとうございました・・・



それでは今日はこの曲を聴きながらお別れです。ごきげんよう。

2014年5月13日火曜日

ネタ

どうもーようじ教です。




突然ですが、一発ギャグやりま~す。























☆  関  節  照  明  ☆










































どうでしょうか。
理解できましたでしょうか。

無茶振りなどで窮地に立たされた場合は是非このネタをご活用ください。
ケータイのライトを照明部分に代用すると良いでしょう・・・







そうそう。ネタと言えば私先日お寿司を頂きました。




私の親友ことファルキン君が私の転職を激励してくれたのでした。
私は本当たくさんの良い友人に恵まれています・・・
ファルキン君ありがとう・・・!!



ちなみにこのお店、那覇市久茂地にある「すしハウス」というお店です。
若い方もよく利用しているという回らないお寿司屋さんです。



粋な寿司職人さんと会話しながら新鮮なネタを頂く事ができます。


お酒もありますので、那覇市久茂地で宴会する際には是非ご活用ください・・・



会話のネタも途切れることなく楽しい時間が過ぎていくはずです・・・



それでは今日はこの曲を聴きながらお別れです。ごきげんよう。




2014年5月8日木曜日

DIY(do it ようじ教)③

どうも、
ようじ教です。
この前部屋で屁をしましたら空気清浄機が「強」で作動し始めました・・・



空気読めよ!




さて、遂に棚が完成しました!


ほぼ当初の設計通りに作られています。
本部(実家)に散乱していた本類を見事にまとめてくれました。
若干納まっていない部分があるのはご愛嬌でお願いします・・・

とりあえずモノを適当に陳列させましたが既に生活感が出ております。


そして一番重要だったのがこの部分で、左の神経緩和所(居間)と活動源補給所(ダイニング)を仕切ることに成功しました。
これによって居間のリラックスした雰囲気を程よく本部(実家)内に漂わせる程度に抑えることができたと思います。

私のこの操作によって風水がいささか良くなったことでしょう・・・


お花ちゃんです・・・

お草ちゃんです・・・


下部の引き出しは家族の大事な書類なんかがそれぞれ収納されています。


ということで棚づくりは完了いたしました・・・
本部(実家)が以前より秩序のある空間になったと思います。


ちなみに参考までに、今回この棚を作るにあたってかかった金額は、
木材・・・・・・・・・・・・・・・・9,000円
BRIWAX・・・・・・・・・・・・・2,400円
バターミルクペイント・・・・1,800円
木ネジ・・・・・・・・・・・・・・・1,000円
木材カット代・・・・・・・・・・2,000円
ようじ教の工賃・・・・1,000,000円
合計・・・・・・・・・・・・1,016,200円

となります。う~ん安い!!お得!!

1,016,200円!!


しかしまあ木材も無垢材では無く、集成材を使い、尚且つ木材カットも自分で行うことができれば材料費だけでも1万円以内では納まるかと思います。

だがしかし!
もっとお安くなる方法もあります。
それは前前回の記事で紹介した、メイクァメェンで、

1台1000円ほどのカラーボックスを4台購入すると、今回作った棚とほぼ同じ容量になります。
つまり4,000円!!
 4,000円!!

さすが創造の神、メイクァメェンです。
このコストパフォーマンスには歯が立ちません。


しかし、実際のところ、このカラーボックス4台を羅列させただけで今回のような部屋の雰囲気になるかはわかりません。
その部屋の用途に合わせたり、デザインを付加してみたいのであれば、自分で作ってみる価値はあるでしょう。
一番良いのはケースによって手作りの品と既製品とを上手く使い分けることなのかもしれませんね。








さて、ここからがウラ話ですが・・・

今回私は初めて木工をしてみたのですが、
たくさん失敗しました。




当初入れる予定だったアクリルガラスが建てつけが悪くて付けれなかったり、

天板が実は浮いていたり、

寸法が合わなくて変な余りが出てきたり、

ネジバカになったネジをペンチで外そうとしたらちぎれて修復不可能になってしまったり

いろいろ失敗しました。



しかし、これらはまだ小さい失敗でして、中でも一番失敗したと思ったのが、
ゴッドファーザー(親父)に猛反対されたということでした。


どういう事かというと、つまり棚を置く位置が悪すぎると反対されたのでした・・・
確かにもともと広々と使っていた空間(しかも動線)を遮断するようにドンとおいてしまったので大分狭く感じてしまいます・・・

それが意図ではあるのだけども確かにちょっと狭すぎたかな、なんて思ったりもしました。


ああ・・・
私はなんという過ちを犯してしまったのだろうか・・・



しかし皮肉なことに私はゴッドファーザー(親父)譲りの諦めの悪さを持ち合わせていますので、

「と、とりあえず一週間ここに置いてみようよ」

と言って、強引にこの場所に棚を置きました。
その一週間は非常に気まずく、私の肩身も非常に狭かったです。

あまりに気まずかったので、最初の3日間私は車で寝泊まりするという「ソフト家出」を行っていました・・・

そして一週間経ちましたが、

今ではゴッドファーザー(親父)が一番気に入って使ってくれています。

良かったです。
おそらくゴッドファーザー(親父)が私の意図を汲取ってくれて許してくれたのでしょう。
今では私も本部(実家)の布団でちゃんと寝ています・・・



さて、色々と経験した棚づくりでしたが、やはり出来上がったものは唯一無二な家具ですので愛着が沸きます・・・

自宅を愛着のある空間にしたいのであればDIYを是非お奨め致します・・・

簡単な工具でしたら喜んでお貸ししますよ。勿論無料で・・・

むしろもし時間が合えば私もお手伝いしたいものです。勿論これも無料で・・・


自分の生活環境を積極的に良くしていけばあなたもきっと救われる・・・
信じなさい。信じなさい・・・