2016年11月10日木曜日

ようじ芭蕉


富士山の 近くを歩いて チョーベリグー

(訳:富士山の近くを歩いていると、チョーベリグーな気分になったことだよ。)


ん・・・?おや、すいません。ついつい一句読んでしまいました。
どうも、ようじ芭蕉です。

私は今山梨県にいるのです。
いとこの結婚式のついでに山梨県を一度観光してみようと思いまして河口湖にやって来ました。



河口湖といえば富士山の近くの湖である富士五湖の一つとして有名ですが、富士山がとても綺麗に見えます。
私の心の奥底で埃を被っていた芭蕉魂に火がついてしまい、ついつい一句読んでしまいましたよ。



今回の旅のお供を紹介します。
マウンテンバイクの「曾良号」です。
曾良号は近くのレンタイサイクルで一日1500円で借りれます。


という事でいざ出発!




面八句を庵の柱に掛置く







河口湖はかなり広し。ボートなどで遊ぶ人もありけり。



湖周辺にはホテル群が競って立ち並び、絶景を求め沢山の人が泊まりけり。


なんでもないただのトンネルでさえも素晴らしい景色であり、私の目には泪が浮かんでいた。

トンネルを 抜けるとそこは 河口湖

(訳:トンネルを抜けるとそこには河口湖が広がっていた事だよ。当たり前だよ。)


巨大な湖を囲む巨大な山々。そこには大きな雲の影が散らばりけり。
まるで人間の小ささを諭すかの、ごとし。


河口湖周辺を曾良号に股がり散策していたが、飽きけり。
同じく富士五湖である山中湖が心にかかりて、そこに向かわんとす。



河口湖から離れると、すぐに、「富士急ハイランド」がありけり。
私はとても絶叫マシーンに乗りたいと思ひけり。
しかし、入場料等もろもろ含めると一回乗るだけで2500円掛かりけり。
私の目には泪が溜まり、泣く泣く、そこを離れる。





しばらく曾良号に股がり、一時間ほど移動するが、何も無し。
またしても飽きが来けり。
何か趣深いものでも無いかと辺りを見渡す。


近くに、大きい神社がありけり。

名をば「浅間神社」と言い、富士山を祀った神社といふ。
富士山は崇拝の対象にもされている事を知り驚く。



参道にはヒノキともスギとも知れぬ巨大な木が生えけり。
共同住宅五階建てほどの高さがありけり。


神木として祀られている巨大ヒノキ


本殿


この浅間神社はまだ日本各地にたくさんあるという事を知り、さらに驚く。

我が国の 心にそびえる 富士の山

(訳:日本人の心には富士山がそびえ立っているほど、それをとても誇りに思っているのだよ。だからこの付近のお土産コーナーには富士山のポストカードばかり売っているんだよ。)




しばらくして、ひもじくなりけり。
道の駅に寄り、うどんを食べけり。
麺のコシの強さに泪する。

おうどんや コシがシコシコ 美味しけり

(訳:おうどんのコシがシコシコしていたので、とても美味しかった事だよ。)




そして山中湖の近くに辿り着きけり。


このような山道を曾良号でひたすら進まんとす。


道には栗が沢山落ちており、裸足でこの道を歩くことを想像するだけで、目に泪が浮かばんとす。




そしてまたしても一時間の道のりの上、やうやく山中湖に至る。



眼前に広がる山中湖。
またしても巨大な様は、やはり人間の小ささを諭すかの如し。

きょうだいの 仲睦まじき 富士五湖かな

(訳:富士五湖の「巨大」な湖は、仲良しなので、まるで「兄弟」のように似ているのかな。
というか山中湖と河口湖の違いは正直よくわかんないよね。との事だよ。)



山中湖にも辿り着き、やがて日が沈まんとする時刻になりけり。
寒さも出てきたので道中を引き返すことにす。


往復30キロの道のりを曾良号に股がり移動す。



途中で「山梨宝石博物館」という博物館に入りけり。



展示していた宝石が寄生獣のミギーに少し似ており泪す。
山梨県は宝石産業が盛んという事を知り、意外だったので驚く。




そして長い旅を共にした曾良号とも遂に別れの時がやって来。
返却の後、電車に乗り、今回の宿のある笛吹市へと向かふ。



途中で「日本三奇橋」の一つの「猿橋」というものを知り、それを見るべく大月市にて下車する。
約五キロの道のりといふので歩いて向かふ事にす。


最初は人気のある道中でありけり。



しばらくすると、人気も無く、街灯すら少ない田舎道に出る。



辺りはまだ夜七時であるにも関わらず、暗闇に包まれ、自分がどこにいるのかさへもわからぬ状況でありけり。本気で目に泪が浮かびけり。

夜の田舎道 他人さえも あたたかい

(訳:夜の田舎道では、知らない他人でさえも、すれ違うとほっとするとの事だよ。それくらい怖かったとの事だよ。)



一時間ほど歩くと、やうやく猿橋に辿り着く。



橋は全長十メートルほど有りけり。
造形は古風な様であり、橋の付け根に屋根が交差しているやうなものが有り、非常に趣深い。

橋の造形に見とれながらも、この場所が少し山中であることや、近くに鳥居などがあることから早くも帰りたいと思ふ。



古くから 月夜に掛かる 猿橋かな

(訳:昔の人々も月夜に照らされた猿橋を見ながら趣を感じていたのかな。
ところでこの素晴らしい写真をポストカードにして購入しませんか?との事だよ。)


猿橋を後にし、体の疲れも感じ、本日の旅をこれにて終わりとす。




いかがでしたか?
この後ようじ芭蕉は笛吹市の健康ランドに泊まったという記録があります。

それにしても今回はたった一日だけでも非常に大変な旅だったということが伝わってきますね。
しかし、本物の松尾芭蕉はこれよりも何百倍もの距離を移動したという記録が残されています。

我々の先代の偉人には素晴らしき旅好きがいるのですね。ああ、その事を思うと目から泪が・・・


それでは今日はこのへんで。さらば芭蕉!

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